「伝えるって難しい」
「何を今更」と思うかもしれませんが、改めて。
個人的な考えですが、どんなに達者な小説家、記者、ブロガー、講演家、万の人を束ねる指導者でも文字や言葉にしたときに完全に思いを伝えることは出来ないと思っています。
「そんなつもりで言ってない」
「そんな意図で書いていない」
「そんな風に受け取られると思ってもいなかった」
多分、多くの人が経験しているはず。
「伝える力」ってアウトプットする側の真意の60~70%程度でも表現できれば良い具合じゃないでしょうか、って最近思ってます。
話しを聞いて本人に確認したり後日談を他所で聞いたりすると「あ、そういうことだったんだ」と感じることは多々あって、ただの情報だけならまだしも、ここに感情が介入すると更に伝わりづらくなってしまうことも多々……
そしてこれは受取手も同じ。
つまり、「インプットする側も100%の真意を正しく受け取ることはできない」ということ。
良くて70%の真意を受け取れたら御の字。
話し手と聞き手の間には必ず情報の誤差が生まれています。
つまり
【アウトプットする側の70%の力】×【インプットする側の70%の力】
→真意の49%くらいが伝わる限界じゃね?
って感じです。
じゃあ残りの51%ってなんなのか
きっと、これが個人の勝手な解釈。
勘違いや誤解と言い換えても良いのかも。
詰まるところコミュニケーションって、アウトプットする側は如何に正しく伝えようかと苦心し、残りの勘違い部分をいい方向に膨らませていくのかが腕の見せ所なわけで、インプットする側にはより核の部分を見つめ続ける能力が必要なわけです。
ある人間の言葉に対して悪意をもって論じるか善意をもって論じるか。
それは個人の自由。
国会議員や芸能人もよく言います。
「そんな意図はなかった」「誤解させてしまった」
これに対して「そうだったのか」と納得するのか「嘘つき!信じていたのに騙された!」と突き放すのか、それも個人の自由です。
ただ、心に留めて欲しいのは「自分の言葉も誤解されて伝わる可能性がある」と言うこと。
これが分かっていれば、自分の言葉遣いや言葉運びが変わでしょう。
普段苦手な上司や級友の発言に対しても「本当はこの人こんなに悪く言うつもりなかったんじゃないだろうか」と思考し、他人の言葉に少しは優しくなれるんじゃないかと思います。
伝わらない前提でオドオド話すのはダメだけど「ちゃんと伝わっていないかも」と思って丁寧に話すのは大事だし、自分の書いた文字を見返してちゃんと書けているのか確認するのも大事。
「出来ている!」と自信を持ちながら「出来ていないかも」と考えて行動する。
丁寧に伝えるって難しいし、コミュニケーションてむず痒い。
如何に100%伝わるような工夫をするかを考えて僕はアウトプットをしていこうと思います。
受け取りてを信じて、これにておしまい。